妄想爆縮

脳みそが半分くらいしかない

着信ゼロ

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年末年始は実家の方へ帰省をしていた。一年ぶりの帰省だった。前に会ってから一年しか経っていないはずだが、両親の背中を心なしか小さく感じた。感傷的になっているだけだろうか。


実家のあるY市は人口が14万人ほどで、いわゆる中核市の要件は満たしていないが、かといって極端な田舎とも呼べない、町ではなくギリギリ街のような、いややっぱり田舎の部類に入るであろうそんな場所である。けれど市の中心には飲食店や居酒屋が立ち並ぶ繁華街もあり、オサレなセレクトショップや大きなショッピングモールもある。自然も多く、治安も良い。医療や教育も含めたすべてがコンパクトに収まっているような街で、生活をするだけならば困ることはないだろう。


欠点は交通の便が悪いこと、夏は非常に暑く冬も非常に寒いという気候、そしてこれがあくまで市内に限った話であるということくらいだろうか。市内から離れた山間部や郡部の辺りはまた話が違ってきてしまうと思われるが、今は置いておく。


Y市には高校を卒業するまで過ごしていた。高校卒業後は県内の国立大学の合格を蹴って、大阪にある大学へ進学した。


地元を離れた理由。


自分の世界が、生まれ育ったY市とその近隣だけで完結してしまうのが嫌だったからだ。地方出身者であればこの感情が分かる人もいるのではないだろうか。青臭い言い方になるが「ここではないどこかへ行かなければならない」という、そういうやつだ。行きたい、ではなく。行かなければならないと思っていた。


明確な目標や夢があって地元を離れるわけではない。ただ、ずっとこのまま地元で過ごす自分の姿を想像したくなかった。それだけだった。田舎で育ってきたというのが自分にとってひとつのコンプレックスだったのかもしれない。


大学卒業後は紆余曲折あって、今は大阪に住んでいる。大阪での生活が果たして自分に合っているのか、それは今でも分からない。ただ、ずっと地元で過ごしていたとしても自分という人間は大して変わらなかっただろうな、と思う。地元を離れたからこそできた経験を得た、という実感はない。


大学を卒業してから自分は一度、精神的に病んでいる。もう病みたくないので、静かに、そして穏やかに過ごす。その目的を叶えるならば、東京や大阪といった大都市で生活するよりも地元の方が適しているかもしれない。が、家族からの余計な干渉や、閉鎖的な環境・人間関係など、地元特有のストレスもあるだろう。今すぐに戻ることはないが、どこかの機会にまた考えなければならないと今回帰省して感じた。ちゃんと人生をやらないといけない。


話が変わりますけど、ちゃんと人生をやらないといけないという表現って伝わりますかね。今の俺は普通に生きてるつもりなんですけど、他人の人生の映像を見せられているような感覚です。自分自身に執着できないような感覚です。これで伝わる人はたぶん私と気が合います。もしくは、私と似たような生き辛さを感じているかです。


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Irisu Syndrome! OST ~ 着信ゼロ ~ Zero Communication